
「気持ちがふさぎ込んで、やる気がでない」
そういう状態に悩んでいる方が多いようです。
そのような悩みを抱えている方のご相談をお聞きしていると、
共通していることがあります。
「つらいこと、悲しいこと、腹のたつことがいっぱいで、
感情を感じたくない、と思っていた」
ということです。
会社でパワハラ、
父親の暴力、
友達からのいじめ……
つらい現実に、戦い、耐え、ついには、あきらめて、
「感情なんて、なかったらいいのに」
と思うようになるのだそうです。
現実は、ちょっと古いたとえになりますが、
映画の映像とフィルムのような関係なのかなと、
わたしは思っています。
スクリーンにうつる映像が現実(とわたしたちが思っているもの)、
信念や思い込み、価値観などが、映画のフィルム、
そして魂の、生命のひかりが映写機のひかりです。
わたしたちは、わたしたちの思い込みというフィルムをスクリーンにうつして、
自分の考えている通りのドラマをみて、いろんな感情を味わっています。
そして、現実を変えようとして、映像に立ち向かっていっても、
それが変わることはありません。
実際に、現実を変えようとして、
誰かを変えようとか、こうなってくれたらいいのに、と相手を説得しようとしても、
成功しなかった体験は、誰もが持っているのではないでしょうか。
自分自身の中にある原因――例えばこだわりや、思い込みのようなもの――
を、手放したとたん、すべてがキレイに解決した、
ということもまた体験されたことがあるかもしれません。
まさに、それが、自分のつくったストーリーのフィルムを外すということなのでしょう。
まだ、現実に立ち向かっている気力があるうちはいいのです。
でも、現実は、自分自身が選んでみているドラマ、
つまり幻想であるということに気づかずに立ち向かい続けていると、
その現実に「あきらめ」が生じます。
目の前にある現実が、「つらい、でも変えられない」
そう信じてしまったとき、
映画のフィルムを変えるのではなく、わたしたちは映写機の光を消そうとします。
光がなければ、現実というドラマをみなくていいと思うからです。
そして、光を止めて、何もみない、という選択をします。
すると、嫌な現実もみなくていいけれど、
「やる気がでない」ということも同時に起こります。
光は、生命のひかりだと言いました。
魂の輝き、といっていいのかもしれません。
映写機のひかりは、魂の輝き、つまり、いのちそのものですから、
それを止めるというのは、「生きている」という実感さえ奪います。
それだけではありません。
魂のひかり、いのち、というものは、体という映写機がなくなるまで、
決してなくなるものではないのです。
光がついている状態の映写機の光が漏れないように、
レンズにキャップをつけたり、箱に入れたりしたら、
熱がこもってレンズが割れたり、壊れたりしてしまいます。
映写機は、肉体、と言えるのかもしれません。
現実というドラマをみたくないからと、光を無理に止めようとしたら、
それが体への不調という形であらわれてしまうのです。
だから今日は、あなたがもし、つらい現実にやる気が起きないでいると感じていたなら、
映写機のひかりは消すことができない、ということを思い出してみましょう。
そして、勇気をもってもう一度現実をみてみましょう。
現実という幻想は、あなたの心の中にあるフィルムが見せているだけ。
あなたの望まないドラマだとしたら、フィルムをはずせばいいのです。
そして、望むドラマを選びましょう。
わたしたちは、ドラマを体験するために、地球にうまれてきました。
たくさんのドラマを楽しみましょう。
あなたの、体験してみたかったドラマを。
魂の輝きは、あなたが体験したかったドラマを上映するために、
あなたがからだを持っているあいだ中ずっと、あなたの中で輝いているのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日もあなたにすてきなことが、たくさん起こります☆
感謝をこめて。
