今日は最近ブームである瞑想を
簡単にできる方法についてお話ししたいと思います。
わたしの瞑想法のベースは、エドガー・ケイシーのものですので、
便宜上、「神」という言葉を使いますが、わたしにとっての「神」は、「宇宙」と同じです。
意識、いのち、と読み替えていただいて結講です。
エドガー・ケイシーは、瞑想について、「神に聴く」と教えていますが、
神の声を聴くのは実はとても簡単です。
ただ、静かに瞑想すればいいからです。
自分の声をおさめていくと、静寂が訪れます。
それが、神の声だからです。
ただの静けさが、神だというのでしょうか。
おそらくそうなのだとわたしは感じています。
神はアドバイスしません。
わたしたちはものごとを投影しているといいます。
「なにかして欲しい」と願うことは、自分自身の欠乏を投影することです。
神がわたしたちになにかを望むことはありえません。
神がなんらかの欠乏を持っているとしたら、
それはおそらく人間と同じであって、
神ではないからです。
神はどんなことでも、受け入れ、正邪の判断をしないがゆえに神なのですから。
逆にいうと、それこそが人間である証とも言えます。
おそらく動物たちも花たちもしないでしょう。
お客様から、リーディングやチャネリングができるようになりたい、というご相談をよく受けます。
わたしは神とつながることは誰でもできます、とこたえます。
ガネーシャ、イエス・キリスト、マリアなど個性を持った個の意識は
なにか具体的なことをあなたに語りかけるかもしれません。
それらは「人格」を持っていて、純粋には神ではないのです。
人間が人格を「持たせて」いるからです。
でも、神は話しかけたりしません。
神にチャネリングするのは簡単です。
自分の声をおさめれば、そこには神が「在る」からです。
こんなふうに説明しても、きっと実感できないかもしれませんね。
でも、誰でもはっきりと理解できる方法があります。
それは、
「自分の声を聞く」ということです。
ひとりの時間を持ってみてください。
トイレでも、お風呂でもかまいません。
そして今日一日あったできごとを自分に話しかけてみてください。
愚痴でも、自慢話でも、漠然とした不安でもなんでもいいのです。
「あのね、今日電車でのりあわせた人、イライラしていてすごくつらかった」
「彼からメール来なくてとても寂しい。彼がわたしのこと忘れてるんじゃないかな」
「あの上司が影でコソコソわたしの悪口言ってて腹が立った」
「大好きな彼がわたしの方をチラ見していた。もしかしてわたしのこと好きなのかな」
「あの子はかわいくてちやほやされて、図にのってる気がする」……
どんなつらいことでも、苦しいことでも、
それらを「黙って」きいてくれている、
静かなあなたの存在に気づかれるのではないでしょうか。
批判も、説教も、アドバイスもなしに、
ただ、淡々とそれらを受け止めてくれるもうひとりの自分。
それが、神と呼ばれるものです。
もちろん、静けさが訪れる過程では、
「そうはいっても……」とか、
「そんなこと言ったって」とか、
あなたの声があれこれと言ってくることもあるでしょう。
それは、「副人格」といわれるもので、
「小我」の自分、エゴの自分であり、
本当の自分ではない、愚痴を言っている自分です。
それらの声も同じようにちゃんと聞いてあげることが必要になるでしょう。。
でも、最終的には、すべての声を黙って聞いているもうひとりの自分に出会います。
自分の声が静まったときに、ようやくその存在に気づく、
ただ、「在る」という意識。
それが、『A Course in Miracles(奇跡のコース)』でもたびたび出てくる、
”God is.”なのです。
それは、意識であり、いのちであり、宇宙と同じものなのだろうとわたしは思っています。
いのちは、どんなにわたしたちが醜く汚い考えにまみれているときでも、
変わらずそこにあり続けています。
この大宇宙には、太陽やまたたく星たちだけでなく、
ブラックホールも、宇宙ゴミも放射能も存在しています。
なにひとつその存在を否定されることなく、
ありのままこそが「宇宙」であるように、
わたしたちの内面がどうあっても、
わたしたちがここに生きている、ただそれだけで
この宇宙の一部として認められているのです。
批判も、非難も、否定もなく。
わたしのセッションでは、お話をうかがいながらリーディングしていきます。
でも大切なのは「できごと」をリーディングすることではなく、
できごとに対して感じている感情をはっきりさせていくということです。
怒り、
悲しみ、
妬み、
喜び、
お客さまが語るストーリーには、その方の感情エネルギーが隠されています。
それをただありのままに祝福していくだけなのです。
「自分との対話」を「静かになるまで」できると、
必ずすっきりします。
「なにか言いたいもうひとりの自分」の声が静まるまでには
何日もかかることがあるかもしれません。
わたしたちは、いろんな判断を日々してきたので
蓄積された思考はなかなかおさまってくれません。
社会的な常識で自分を裁こうとします。
「不倫はいけないことだ」
「意地悪するのはみっともない」
「情けない自分は変わらなくてはダメだ」……
事象をそのまま受け取れず、抵抗したり、否定したり、批判したり。
この世のすべての苦しみの原因は、
「あるがまま」を受けいれられないこと、と言っていいくらいです。
いつも外の世界の「あるがまま」に抵抗し、否定し、批判しているのは、
やはり、自分自身の「あるがまま」に抵抗し、むち打っているからなのです。
太古の昔から、祈りと瞑想はその時代、時代のスピリチュアルリーダーに勧められてきました。
祈りとは「神に語る」
瞑想とは、「神に聴く」と、
エドガー・ケイシーは教えています。
神には、人格はありません。
意識であり、いのち、そして宇宙そのものです。
自分と対話するとき、ただ黙って聴いてくれる、
そこに「在る」沈黙に出会う、
それこそが、瞑想の目的なのです。
思考と価値を重視する社会に生きるわたしたちにとって、
判断をはずし、無価値に見えるものをゆるすことはとても難しいことです。
ですが、静寂に出会うとき、わたしたちはその大いなる安心感を思いだすことができます。
瞑想は難しくありません。
自分に愚痴を言うだけでいい。
それが静まるまで、忍耐強く聴き続けてあげてください。
批判も非難もせずに。
それが、悟りの世界です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日もあなたにすてきなことが、たくさん起こります☆
感謝をこめて。