
「ないものを数えたら、みじめな人生になる。
あるものを数えたら、感謝にあふれた人生になる。」
多くの方は、もうこのことに、気づいているのではないでしょうか。
「どうして、世の中には格差があるのだろう?」
長い間、私は、そんな思いを持っていました。
そして、ずっと、私は私を「かわいそう」な存在だと信じてきました。
わたしには、「ないもの」がとても多かったからです。
恵まれている人を羨ましいと思い、自分にないことにとらわれ、自分を「かわいそう」な存在だと思い込んでいたのです。
でもあるとき、自分自身のことを振り返っていたとき重大なことを思い出しました。
私は、自分を「かわいそう」と思ったのは、人から「かわいそう」と言われるようになってからだったということでした。
子どもの頃のわたしは、父と暮らしていないこと、母が仕事に行ってほとんど家にいないこと、ひとりっ子であること、身体のこと・・・ありとあらゆる「かわいそう」を、感じたことがなかったのです。
それは、全部、人から「かわいそう」と言われたことがきっかけでした。
つまり、「持っている人」から「私が持っていないもの」に気づかされた瞬間、私は、「ないもの」にとらわれるようになったということです。
それまでは、「ないこと」に気づくこともなかったというのに。
何度も何度も、私自身、「あるものに目を向けなさい」という格言に出会い、多くのアドバイスに触れました。
でも、「あるものに目を向けよう」とどんなに努力しても、「ないもの」に目がいくクセはなかなか治りませんでした。
ですが、
「自分は、かわいそうだと信じてきたけれど、それは、人から言われて、そう信じただけだった」
ということを思い出したとき、長い間持っていた「格差」に対する疑問も同時に解けたのです。
「持たない人は、手にしている幸せを気づかせてくれる存在なのだ」
ということに。
私たちは、手にしているもののありがたみに気づくことはなかなかありません。
「失ってから、ありがたみがわかる」といわれるように、
「ないこと」を通してしか、私たちは与えられている幸せに気づくことができないものなのです。
つまり、「ない人」という人は、かわいそうな、弱い人なのではなく、
自分は、ないという不自由をひきうけて、他の人に幸せを感じさせてあげようという、志のある強い魂だということです。
私たちは、誰でも、「持つもの」と「持たないもの」があります。
他の人を持つものをすべてもつ人はいません。
すべてを手に入れているように見えても、持たないものがあるのです。
地位、お金、力、美しさ、健康・・・ありとあらゆるものを手に入れている人ですら、
同時に「失うことのない気楽さ」を持つことはできません。
私たちは、人を通して、自分を知ります。
「ない人」を通して、自分に「あるもの」を知ることができるのです。
それは、決して傲慢なのではありません。
むしろ、相手をかわいそうだと、哀れむ気持ちは、相手を低くみたいというエゴのあらわれかもしれないのです。
そして、またあなたの「持たないもの」から、自分の手にしている幸せに気づける人も、いるのです。
だから、今日はあなたがもし、他の人からの嫉妬に苦しんでいたり、
自分がかわいそうに思えてつらい状況にあったとしたら、
私には、選ぶことができる、ということを思い出してみましょう。
足りないものを数える人生も、
あることへの感謝で満たされる人生も。
だれにでも、持っていないものがある。
それは、誰かが幸せに気づくための、あなたが引き受けた尊い役割。
そして、あなたに与えられたギフトに目を向けてみましょう。
それは、あなた自身が、うまれる前に決めてきた大切な神さまからのプレゼント。
あなたはそれを使うことも、置いておくこともできるけれど、人にあげることはできない。
そこには、あなた自身の生まれてきた意味への鍵がある。
あなたの人生は、あなたの選択のつみかさね。
あなたは、ないものを数える人生、あるものを数える人生、どちらを体験したいですか?
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日もあなたにすてきなことがたくさん起こります☆
感謝をこめて。
