今日は少し不思議な話をシェアします。
今年は大きな地震があったり、経済的にも混乱が起きたり、
今までの枠組みが大きく変わる、そんな流れのときなのだなと感じられている方が多いのではないでしょうか。
今年のことを振り返りながら、瞑想していたとき、こんなビジョンがみえました。
椅子とりゲームをしています。
たくさんの人、おそらく日本人全体、もしくは地球全体の人が参加しているような。
音楽が止まります。
椅子が結構少なくて、大混乱。
ぶつかってケガをする人、混乱に腹を立てる人、呆然と立ち尽くす人・・・
そして多くの方がいなくなりました。
また、スタート。
音楽が止まるたび、同じ光景が繰り返されます。
いなくなられた方は、亡くなった御霊のようでした。
残ったわたしたちに席をゆずってくださったようです。
「この椅子はいくつあるんだろう?」
わたしは、思いました。
すると、こんな答えが返ってきました。
「地球にいたい人の数だけ、ちゃんと用意されている」。
この世で生きていてよかった、
地球でやりたいことがある、
満足。
本当に、生きていたい人の分だけ、ちゃんとある、ということなのだとわかりました。
20世紀、わたしたちは、「もっとよくなる」ためにがんばってきました。
もっと耕し、拡張し、成長し続けました。
宇宙は無限ですが、地球は物質ですから有限です。
限りがあります。成長し続けることはできません。
より豊かになるために目指してきたものも、もう成熟し、新しい循環に入ってきているように誰もが感じています。
21世紀は、拡張ではなく、充足がテーマになるのかもしれません。
足るを知り、あるものを都合しあう、「分かち合い」の社会です。
「今がしあわせ」
「生きていてよかった」
そう思える人の数だけ、椅子は用意されています。
「今、ここ」にいる人の数だけ。
だから、わたしたちは、心配しなくていいのです。
けれど、「今ここ」に、いない人、
「こんなはずじゃない」
「もっといい生活があるはずだ」
「生まれてくるんじゃなかった」
そう思う人の椅子は、この地球には用意されてはいません。
その人たちに、ふさわしい場所は、ここではなく、別の時空にきっと存在するはずです。
この宇宙は、完全であり、完璧な秩序でなりたっています。
不満や、不完全は、存在していないのです。
誰もが、しっくりくる居場所は、必ずあるのです。
問題は、椅子とりゲームは、今、地球に存在しているすべての人が参加していることです。
本当は、地球にはいたくないのに、椅子に座ってしまう人、
地球にいたくても、座ることができない人がでてきてしまうというのです。
わたしたちは、わたしたちが今、わからなかったとしても、今ここに意味あって存在しています。
「ここに、在る」という完全性に立ち返るときがきたのかもしれません。
すべての人に椅子は用意されています。
完全なしあわせとして。
すべての人が、完全なしあわせに目覚めるときに一歩一歩近づいているように感じます。
そのとき、椅子の数は、本当に、その椅子を望んでいる人の数だけがあります。
わたしたちは、奪い合う必要はありません。
ただ、「今、ここに、ある」という完全性に、気づくだけでよいのです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
今日もあなたにすてきなことがたくさん起こります☆
感謝をこめて。