愛する人を亡くした、
健康が失われて病気になった、
子どもが授からない……
悲しみの淵にいるとき、わたしたちは思います。
「どうして?」と。
たくさんの悩みをお聞きしていると、
苦しみにはやはり、意味があるのだと感じます。
わたしたちは、「ない」ことを通してしか、「ある」という喜びを知ることはできません。
愛する人がいたから、亡くすという悲しみがあり、
健康なときがあったから、病気という苦しみがあります。
「あった」という喜びを確認するために、「ない」を体験したというケース。
これは、「感謝」がある人ほど体験しないようです。
「ある」ことにいつも目を向けて「感謝」できていれば、
「ない」を体験して、「あった」ことの感謝を学ぶ必要がないからかもしれません。
たくさんの「感謝が大事」という教えは、このことを言っているように思います。
また、お子さんが授からないとか、
結婚できない、という場合には、
「今、ほかに与えられているものがあるよ」というメッセージであることがあります。
例えば、「子どもができたら仕事を辞めたい」と思っていたけれど、
「今は仕事をするしかない」と腹をくくる。
するとしばらくして、お子さんに恵まれ、
しかも、働きぶりが認められて、会社からのサポートで仕事を休むこともでき、
満足する出産・育児ができた、という方がいらっしゃいます。
「子どもがいないなら、ふたりでもっと自由な時間を楽しもう」と決めて、
夫婦で旅行に出かけたり、共通の趣味をもつようになったら、
お子さんが授からない悩みはなくなったというケースもあります。
「結婚できない」と悩んでいた方が、
結婚のことは一旦わきにおいて、趣味や仕事に没頭するようになったら、
「結婚できない」というコンプレックスが消えて
素敵な人との出会い、理想の結婚ができたということもありました。
でも、わたしが一番、「苦しみの意味」だと感じるのは、
他の人に、「しあわせへの気づき」を届けることなのではと思っています。
「あの人が生きているだけでしあわせ」
と感じたことはないでしょうか。
この世界に、それが叶わなかった人の体験があり、
その悲しみがあって、わたしたちのしあわせがあります。
悪意の有無の問題ではなく、わたしたちは、「ない」をみることでしか、
「ある」を体験することはできないのです。
わたしたちは、この世に生まれる前、神と完全に一緒でした。
そして、完全な愛の中にいて、自分自身が「完全に充足してしあわせである」ということすら、
わからなかったようです。
そして、わたしたちは、それを確認するために、地上に下りてきました。
苦しみや悲しみという、愛と真逆の体験を通して、愛だけの世界を確認するために。
もしこの話が本当だとしたら、
お釈迦様が「生きるということは、苦である」と教えるのも合点がいきます。
そして、「苦しみ」を体験している方は、その中でも、
自分の身を賭して、わたしたちにしあわせを教えてくださっている方なのだと思うのです。
わたしたちは、完全にひとつの集合無意識を生きています。
誰かが、体験することは、わたしが体験することと同じです。
だから今日は、あなたがもし、どうしようもない苦しみを体験していたとしたなら、
あなたの苦しみは、誰かの力になっているのだということを思い出してみましょう。
すべてが満たされているひとは、この世にひとりもいません。
みんな、それぞれが誰かの気づきのために、苦しみを体験しています。
あなたの苦労が報われないことはありません。
たくさんの苦しみを引き受けてくれたあなただからこそ、
みつけられる愛が人一倍あるのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日もあなたにすてきなことが、たくさん起こります☆
感謝をこめて。