みなさまこんにちは。
今年もまた、夏至から七夕を経て、立秋にかけて、自分の気づいていない内面に深く向き合わされる体験をした方も多かったのではないでしょうか。
暦の上では立秋を過ぎ、秋に入りました。
秋は収穫の季節。今までに蒔き育てたものが実を結び、その結果をみることで、自分のやってきたことが自分の願いに叶うものであったのか?答え合わせをする時期でもあるのかもしれません。
今年は個人的なご相談だけでなく、政治のことやニュースでとりあげられていることなどもお聞きすることが多くありました。
日常的に目にする社会のありように憤りを持っていらっしゃることが伝わってきました。
ご相談をお聞きするときはいつもそうですが、お話しを聞くにつれ、自分のありようを見せつけられ、それでいいのか問われる気がしてなりませんでした。
少し前のニュースを覚えておいででしょうか。
公務員の退職金の扱いが年度途中で変わり、卒業式を待たずに先生方が何人も退職された事件。
保護者の立場からは許せないとか信じられないという反応がたくさんありました。
教育の場が損得勘定で成り立っているとは思いたくないし、先生は気高くあってほしいと願われる気持ちもわかります。
わたしの周りにもちょうどその年、定年退職を迎えるご家族がある家がありました。
その方は、同じ立場の同僚が退職される中、迷惑をかけるからと年度末までお勤めになり、退職金の額が数百万円下がったそうです。当たり前のことだとその方はおっしゃいます。ご家族もそうでした。
決して裕福なお家でもないので、数百万は大金だったはずですが、筋を通されました。
経済的にも身体的にも大変で、当たり前のことなので、褒められることもありません。
損得で考えたら損。でも徳を取られたのです。武家の出身の方でした。
でも、自分がその決断を迫られたときどれだけの人がそんな覚悟を持てるのでしょう。
あのとき、途中で退職することを選択なさった方を責めた方々も立場が違えば、「家族のため」に同じ選択をしたかもしれません。
「忖度」なども話題になりましたが、「事を荒立てたくない」とか「丸く収めたい」という気持ちは多くの人が持っていることだと思います。
「忖度できない人」は、組織になじまず疎まれていたりします。
社会でそつなく暮らしている人の多くは、「正義」や「正しさ」より「ことを荒立てない」ことを選ぶでしょう。
苦しい時代に、わたしたちは政治家のせいにしがちです。
ですが、わたしたちが確かに選んだのです。
反発する気持ちには、「得している人」に対する妬みの気持ちは含まれていないでしょうか。
妬みの気持ちがあるとしたら、それは立場が変われば同じことを選択するということです。
それだったら、反発などせずに、仲間に受け入れてもらえばいいのではありませんか。
多くの人が豊かさを望んで、今の政治を選んだのです。
自分の心のなかにある正直な気持ちに気づかなければ、わたしたちは自分の想念に振り回されます。
望んでいないことが起こったと、人生を呪い、神を憎むかもしれません。
わたしたちの生きるこの世界は、わたしたちの思いによって構成されています。
瞬間瞬間に生み出される思いの波動が、この世を作っているのです。
自分が知覚できていることだけが、自分の思いではありません。
今ここにある現実と、自分の思いは不可分ではありません。
望まぬ現実を嘆くのではなく、今一度自分自身の深い部分にある思いをあらためてみてください。