瀧原宮(変換後)

「存在感」はどこからくるのでしょうか。

オーラがぼんやりしてチャクラの状態がアンバランスな人は、
たいてい自信がないことが多いのですが、
それは生い立ちであったり、今おかれている厳しい境遇が原因だと、
多くの人は考えています。

自信あふれるときというのは、自己肯定感がしっかりしていて、
エネルギーのバランスがいい状態ですので、

「(肯定できるような)生い立ちに恵まれた人なのだろう」と
思われがちですが、実際はそうではありません。

わたしが今までに出会った、自信に満ちあふれる圧倒的存在感をまとった人は、
恵まれた生い立ちや境遇の方ではなく、むしろ、
大変な境遇を乗り越えてこられた方ばかりです。

心優しい両親に育まれて、金銭的にも恵まれてきた人は、
まとっているエネルギーがとても清らかで優しいものですが、
存在感はそれほどありません。

存在感を増すためにパワーアイテムを持ったり、言葉で飾ったり、
「人に注目されるための努力」をたくさんしていらっしゃいます。

一方で、おしゃれな服も、名刺の肩書きもなにもなくても
その場に入っただけで空気が変わるような、
手に触れただけで涙があふれてしまうような、
そんな存在感を持つ人もいます。

そういう人たちの共通点は、
「普通では祝福できない人生を祝福している」
ことかなと、わたしは思います。

決して彼らはそれを声高に話すことはありませんが、
みなそれぞれの「苦労」があります。

障がいを持ったお子さんを授かったとか、
家庭に恵まれなかったとか、
言葉にすることができないほどのいじめにあったとか。

決して彼らは、それを「苦労」とはいいません。

それははじめから、苦労でなかったわけではないのだと思います。

普通の人には「苦労」だったり「不幸」だったりすることを、
自分自身の心の状態を変え、祝福していくことを選んだのです。

誰からみても「幸せ」と思えることを祝福して生きるのは、
たやすく、あたりまえのことです。

人からは「苦労」や「不幸」とみられることを、
「苦労」や「不幸」と受け取ることをやめ、

ありのままを受け入れ、祝福することを選んだから、
特別な力が備わったのです。

わたし自身もそうしていろいろな境遇を乗り越えていくうちに、
不思議な力を授かりました。

ですから、あなたがもし、とうてい祝福できない人生の痛みを持っているとしたなら、
それは神さまからの特別なおくりものかもしれません。

だから、心の傷を癒す必要はないと、わたしは思っています。

軽い傷なら、癒すのもいいでしょう。

でも根深い問題であればあるほど、癒す必要はないように思うのです。

それは、選ばれた人にしか与えられない特別なおくりものだからです。

誰かが慰めてくれるときには、神さまはきません。

神さまは本当に困ったときに、見捨てずにいてくれる存在なのかもしれません。
それは、自分自身が、最後まで共にいてくれる唯一の確実な存在であるのと同じです。

神さまは、自分自身の中にいます。
自分自身だけが、自分の幸せを決めることのできる
唯一の存在だということを思い出してみてください。

人にあなたの幸せをあけわたすことなく、
あなた自身があなたの幸せを担保することができますように。