
あなたがあの人を大好きと思うのも、大嫌いと思うのも、
実はあなたの自分自身に対する意識のあらわれ(=投影)である。
スピリチュアルな考えや、心のことに興味がある方なら、
聞いたことがあるかもしれません。
わたしたちは、肉体の目に映るものに感動しますが、
それも、自分の内にあるものです。
赤い薔薇をきれいだと感じているのは、
きれいな薔薇がそうさせているのではなく、
網膜に映る情報を、わたしたちの価値観のフィルターを通して
脳が認識しているからです。
作り物の花を本物だと認識してしまうこともありますし、
もし網膜に、同じ映像を映し込むことができたら、
花がなくても、私たちの脳は、花に感動することができますし、
ただイメージするだけでも、同じように反応することができます。
例えば、5年前の失恋のことを思い出すたびに泣けてくるとか、
昨日彼からもらったうれしい一言で気分がウキウキしてくるとか。
わたしたちは、そこに事実がなかったとしても、
感情を体験することができるのです。
わたしたちの多くは、怒りを感じたときに、
外の世界に理由があると思います。
意地悪な上司の言葉が、
列に割り込んできた人が、
政治が、
親が・・・
ですが、本当にそれらがわたしたちを怒らせたのでしょうか。
意地悪な上司の言葉に腹がたっていても、
実は上司が本当にあなたのことを思ってくれていとわかったとき、
わたしたちの怒りは、喜びや、恥ずかしさに変化します。
親になることを通して、親への恨みが感謝に変わる人もいます。
わたしたちは誰でも、感情が一瞬にして変わる、ということを体験したことがあるでしょう。
外の世界になんの変化がなくても。
そう、わたしたちの見方が変わっただけです。
わたしたちは、自分の中にある「モノの見方」によって、感情を創り出しているのです。
苦手な誰かに対しての感情も同じです。
「あの人が嫌い」という感情は、
「あの人」に対する自分自身の「モノの見方」からきています。
「時間にルーズ」
「うわさ話ばかり」
「思いやりがない」・・・
それらの「嫌いな理由」に感情を揺さぶられる「モノの見方」が存在するとき、
「だから、あの人が嫌い」という感情がわいてきます。
基本的には「モノの見方」はあなただけのものです。
時間にルーズな人を嫌いではないという人もいるし、
うわさ話が好きな人もいます。
「嫌いだ」という感情の奥には、自分の中にある「こだわり」があるものです。
「時間には遅れてはならない」
「うわさ話をするべきではない」
「人には思いやりをもたねばならない」
それは、過去に自分自身が押し付けられてきた価値観や、
それをできなかったら嫌われるという怖れであるかもしれません。
「嫌いな理由」に対するこだわりが、感情を生んでいるのです。
「大好き」というあこがれも、実は同じです。
「わたしにはないすばらしさを、あの人は持っている」という思い込みからきます。
ですが、わたしたちには、実は欠けたところなど存在しません。
「あの人のキラキラしたところが素敵!」と思うとき、
自分の中にある、まだ気づいていない「キラキラした感じ」を発揮したいと思っているし、
「経済的に成功しているあの人がすばらしい」と思うときは、
「自分にも経済的に成功できる能力がある」ということを魂は知らせています。
自分の中にないものは、わたしたちはみることはできません。
だから今日は、あなたが嫌いな誰かに悩んでいたとしたなら、
自分の中にあるこだわりを、認めてしまいましょう。
あなたの感情が動かされるのは、あの人のせいではありません。
あなたが重荷になっているこだわりを、手放すチャンスがきました。
あの人が嫌いなのは、あの人が原因ではなく、わたしのこだわりが原因だったのです。
そう認めれば、あなた自身が自由になれます。
ひとり避けては、またあらわれる、嫌いな人の連鎖から自由になりませんか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日もあなたにすてきなことが、たくさん起こります☆
感謝をこめて。
