最近、心についてあらためて学んでいます。
知れば知るほど、心とはどこにあるのか、心とはなんなのか、
不思議な感覚がわいてきます。
悩みをお聞きする仕事をさせていただいているので、
「心理学とか哲学とかを学んでいたのですか」
とよく聞かれますが、大学時代は薬学部で遺伝子を勉強していました。
いわゆる理系アタマなので、心という場所は、脳にあると思う人のひとりです。
解剖学的には、わたしたちが心と呼ぶ場所には心臓がありますが、
心というものは存在せず、
わたしたちは、わたしたちの脳が知覚した刺激のうち、
特定のものを「心で感じる」と定義しているようです。
でも、たしかに、「心」という場所が身体の、
特に胸のあたりにあるように感じますよね。
つらい思い出に胸が痛むというとき、
確かに感じるあの胸の痛みは、どこにあるのでしょうか。
「心というのは、コロコロ変わるから、ココロという」などと言われることもありますが、
本当に人の気持ちというのは、めまぐるしく変わるものだと感じます。
さっきまで悲しんでいたのに、笑いのツボが押されて忘れてしまったり、
幸せな気持ちが、嫌な一言で吹き飛んでしまったり。
この実際には存在していない場所は、泣いたり、笑ったり、怒ったり、
いろんなドラマがたえず流れている、まるで映画館のようです。
わたしたちは、ただ夢のドラマをみているだけかもしれません。
心とは、夢のように、確かに知覚しているのに、実在ではないものだから。
心は、実際には存在していない場所で、あらゆるドラマを見せているだけ。
だから、そこで起こることはすべて、夢と同じなのだとしたら、
ただ、わたしたちは、夢に対処するように心も扱えばいいのかもしれません。
夢で誰かにいじめられてつらいと感じたとしても、
それは夢だったのだと、知っている自分がいるように、
傷ついたと感じたとき、悲しいドラマをみてつらかったねと、
傷ついた自分に、寄り添ってあげればいいだけなのかもしれません。
わたしたちは生まれる前に、人生にある事柄のすべてを決めて生まれてくるといいます。
そして、わたしたちは、それを体験するだけなのだと。
わたしたちは、そのドラマを、心という見えない映画館で淡々と上映しているような、
そんな気がします。
どんなに恐ろしい夢でも、夢から醒めたあと、それを恐れる人はいません。
わたしたちも、この心という映画館の上映が終わって明かりがついたときには、
どんな感情も、それは終わったのだと気づくでしょう。
そしてきっとそこには平和な静けさがあるのだと思います。
だから今日は、あなたがもし、つらい現実にくじけそうになっていたなら、
それは実在がない夢なのだと思い出してみましょう。
そして、この悪夢から、早く目覚められるようにと、願いましょう。
傷ついた心は、ほんとうには存在していないのだから。
傷ついたのは、本当のあなたではなく、あなたが、あなただと信じている架空のあなた。
それをエゴと呼ぶのかもしれません。
ほんとうのあなたは、現実という夢に傷ついたあなたに気づいているその存在。
その存在はいつのときも、冷静に、あなたをみています。
どんなときも、平和な静けさの中にあなたはいるのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日もあなたにすてきなことが、たくさん起こります☆
感謝をこめて。