エゴという言葉には、「悪い」イメージがあるように感じることがありますか。
エゴとは、哲学で扱う「自我」と、
エゴイズム(利己主義)を略して「エゴ」という場合とがあるので、
エゴという言葉に対してネガティブなイメージを感じるのは、
「エゴイズム」のイメージからくるのかもしれません。
エゴイズムという言葉も、日本では「自分中心で、他人のことを考えない」と、
「他人目線」で使われているようなので、
「自分勝手で迷惑」という意味もこめられているのでしょうか。
このブログで取り扱う「エゴ」は、『奇跡のコース』と同様に、
哲学で使われる「自我」と同じで、エゴイズムやエゴイストの略に含まれる
「迷惑な」というニュアンスはありません。
日本語でいうところの「エゴイズム」や「エゴイスト」という言葉は、
他の人のことを説明する言葉なのだと感じます。
誰かを判断したり定義づけたりする言葉は、定義する人の主観を表している場合が多いものです。
ですから、本来は善し悪しがない言葉もみな、感情を帯びてくるのかもしれません。
誰かを「エゴイスト」と定義するとき、
定義する人もまた、「エゴイスト」なのかもしれません。
わたしは、「エゴ」とは、「人とは違う自分」のことなのかなと思っています。
「わたしは、ほかの人とは違っている特別な存在」という感覚。
足が速いとか、仕事ができるとか、礼儀正しいとか、
あるいは、「正しくありたい」といった信念だったりするかもしれません。
また、グズだとか、だらしないとか、自分を下に見ることも、
自分を特別にすることかもしれませんね。
そうして創り出された「人とは違う自分」は、
他人との違いに落ち込み、怒り、傷つきます。
わたしたちは、相互に影響しあって存在しています。
温かい部屋に冷気を送り込んだら、部屋の気温は下がり、冷気の温度はぬるまります。
機嫌の悪い人と一緒にいると、同じように機嫌が悪くなる経験をしたことはないでしょうか。
逆もきっとありますね。
より大きな力に影響を受けますから、
気分が普通のときに、機嫌がすごく悪い人と一緒にいたら、機嫌が悪くなることがありますが、
自分が超がいくつもつくぐらいご機嫌のときには、同じくらい機嫌の悪い相手の機嫌をよくすることもあるのです。
ですから、「人と違う」という考えが強ければ強いほど、周りとは離れていきます。
自分自身が創り出している差異なのですから当然なのですが、孤独を感じてしまうという矛盾。
エゴは、それほどまでに支離滅裂で矛盾しているものなのです。
この世界を水にたとえたら、わたしたちは氷のようなものなのかもしれません。
氷同士がぶつかり合い、時には美しい音を奏で、砕ける。
でもやっぱり氷は水。
水のエネルギーを動かすことによって固まった状態を切りとったものに過ぎないのです。
他の氷をみて、自分とは形が違うと時には喜び、時には失望し、
ぶつかりあってはこわれ傷ついたり、また氷を結んだり、雲になったり。
それがエゴなのでしょう。
わたしたちは、変化を楽しむために生まれてきたのであって、
氷が砕け、とけたからといって自分がなくなるわけではありません。
水になり、雲になり、目に見えない分子のレベルに変化するだけなのです。
だから今日は、自分が壊れることを恐れずに、自分らしさを楽しみませんか。
自分らしさは、水を氷に結ぶ力みたいなのもの。
あなたらしさが傷ついたとしても、あなたはあなたなのですから。
エゴのぶつかり合いを恐れずにいましょう。
氷と氷のふれあう音を楽しめばいいのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日もあなたにすてきなことが、たくさん起こります☆
感謝をこめて。