以前の記事 http://ameblo.jp/gypsyrico/entry-11484458935.htmlで、「アトーンメント=Atonement」について書きました。
『A Course in Miracles(奇跡のコース)』の教えの中でも重要な意味をもつ、
「Atonement」は、キリスト教ではよく用いられる言葉ですので
聖書になじみのある方には理解しやすいのですが、
日本語訳では、「あがない」とか、「贖罪」と訳されることが多いので
理解しにくいことばのひとつです。
Atonement(アトーンメント)は、「贖(あがな)い」と訳します。
対になる言葉は「償(つぐな)い」です。
償いとは、カルマの法則に基づくもので、やったことを自分で償うことです。
たとえば、事故を起こしたとき、社会的な責任をとり、お金を払って補償するということ。
『奇跡のコース』のレッスンでも「罪はない」というアイデアが登場しますが、
社会的な責任が存在しないと言っているのではありません。
わたしたちは社会という枠組みの中で生きているので、
過ちに対して社会的な責任(償い)を求められます。
「罪はない」というアイデアは、社会的な責任が存在しないといっているわけではないのです。
だとしたら、「罪はない」というのはどういうことなのでしょう。
わたしは、「罪はない」というのは、
「過ちがあるだけ」だと思っています。
わたしたちは、悪気のある、なし、にかかわらず、誰かに迷惑をかけることがあります。
ぶつかった、壊した、盗んだ、脅かした・・・
わたしたちは、自分が正しいことをしたと思っていたとしても、
他の人にとっては「迷惑だ」「傷ついた」と感じることをしてしまうことがあるのです。
「時間に遅れるのは、人の時間を盗むこと」と内観で教わったことがありますが、
時間に一度も遅れずに一生を過ごせる人はまれですし、
時間に遅れない人も、時間に間に合わせるために、余裕がなくて人にぶつかったり、
遅刻した人を厳しく責めたりしてしまうことだってあるかもしれません。
また、悪気がなくてすることはゆるせるけれど、
悪意があることはゆるせないという人もいます。
わたしも以前はそう思っていました。
でもね、よく考えてみたら、悪意を持ったことのない人はそんなにはいません。
一度も怒ったことがない、という天使のような人にもお会いしたことがありますが、
「ムカッときて人にやさしくできなかった」というような体験は
おそらくほとんどの人があるでしょう。
つまり悪意を持つ、ということも
誰もがやってしまう「過ち」のひとつにすぎません。
それを帳消しにしてくれる、つまり「過ち」に対する「ゆるし」が
「Atonement」だとわたしは考えています。
キリスト教では、人間のすべての罪を
キリストが十字架に架けられることにことによって
Atonement=贖(あがな)われたと教えます。
だから、わたしたちには、罪はないのです。
現実社会に生きている限り、社会的な責任を文字どおり「人」として償っていくことは求められますが、
してしまったことに対して悔やんだり、罪悪感で自分を責めたりする必要はまったくないのです。
わたしたちは、なにか自分が被害にあったら、
「お金の問題ではない」と強く思います。
ですが、
健康であったり、
愛する人であったり
自分にとってかけがえのないものを失ったとしても、
実際には裁判など、被害については金額に換算される形でしか補償されることはありません。
だから社会的な責任が認められ、それが償われたとしても、納得できることは少ないのです。
わたしたちを悩ませ、苦しませるのは別の問題だからです。
それが、「罪」。
「過ち」に対して、わたしたちは、償いを求めることができますが、
わたしたちが、本当に問いたいのは、「罪」のほう。
そしてそれは叶うことがありません。
罪を問い続ける限り、わたしたちは
出口のない悩みのトンネルに迷い続けることになってしまうのです。
罪はないからです。
それは、ずっと昔キリストが十字架に架けられて、贖(あがな)われてしまったから。
親が大事にしてくれなかった、
あの人がわたしを侮辱した、
粗悪品を売りつけられた、
暴力を振るわれた・・・
わたしたちは、なぜこんな目に遭うのかと悩みます。
でも、実は大した理由はなく、
「余裕がなかった」
「イライラしていた」
「生活に困っていた」
などとても個人的な、「過ち」と言っていいような些細な動機だったりするのです。
そしてまた、自分も同じような「過ち」を日々してしまっているのです。
Atonementは、A-tone-ment。
ひとつの音色。
相手も自分もひとつの音色、と思いだしてみましょう。
そして、Atonementは、At-one-mentでもあります。
わたしたちは、ひとつ。
相手も、わたしも、大いなる宇宙の一部なのだと思いだす瞬間、
相手をゆるし、自分がゆるされるという奇跡の体験ができるようになるのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日もあなたにすてきなことが、たくさん起こります☆
感謝をこめて。