死ぬときに後悔すること
 
 
「もっと幸せな生き方がしたかった」
「友人たちともっと多くの時間を過ごせばよかった」
「自分の気持ちを素直に表現すればよかった」
「あんなに働かなければよかった」
「他人に期待される人生を生きるのではなく、自分が望むような生き方を貫けばよかった」
 
 
きっちり10年間、一緒に暮らしたパートナーが亡くなる直前にのこしていたメモです。
その週まで旅にでていて、とても元気だったので、急に彼が肉体を離れるなんて思ってはいなかったはずですが、
なぜか、彼はこんなことを書いていました。
 
毎朝、ソファに座って瞑想といって二度寝を楽しむのが習慣で、
この日もうとうとしていて、はっと起きて、「今大事なことを思い出した」といって、
このメモを書いていました。
 
「なに?」
わたしが聞いても
「うーん」といって答えてはくれなくて。
 
その直後に、すごく真剣な顔をしてわたしに言いました。
 
 
「あなたも、シロクマの赤ちゃんのキラキラした瞳をみたら、きっとシロクマが好きになる」
 
 
そのときふと、
「ああ、彼と野生のシロクマを見にいってから10年だなぁ。今年は彼だけでもクマを見にいかせてあげないと」
 
そう思ったのでした。
 
でも、それは口にしなくて、
わたしはにっこり笑っただけでした。
 
 
彼はいつもまわりの人の機嫌を気にして、自分がやりたいことや言いたいことは、限界まで我慢している人でしたから、
彼が自分の気持ちをこんなに真剣に口にしたのは、もしかしたら初めてだったかもしれません。
 
わたしは逆で、阪神淡路大震災にあってから、行きたいところに行き、会いたい人に会い、食べたいものを食べ、飲みたいだけ飲んで、生きたいように生きてきました。
 
彼に出会うまでは、そんな気ままにつきあってくれる人もいなくて、旅に出るのもひとりでした。
自由を満喫していましたが、孤独でもありました。
 
 
でも、彼と出会ってからは、どこにいくのも、何をするのも彼と一緒になり、
 
 
お客様をお連れする合宿も、お茶会も、海も、山も、巡礼も、ご飯を食べるのも、飲みにいくのも、お友達を招いてパーティをするときも、そしてお互いが家で仕事をしているので、日常のすべてがずっと一緒でした。
 
肉親との縁が薄く、ずっとひとりぼっちだった私にとって、彼と過ごした10年間は、生まれて初めて自分のことだけを考えてくれる人に出会えて、とてもしあわせで、
 
孤独を振り切るように、自由を楽しもうとしていた頃と違って、誰かと一緒に美しい景色や体験を共有できる喜びをかみしめていました。
 
そして、いつもわたしのとなりで、ニコニコしている彼も、きっと同じはずと思っていました。
 
 
ですから、このメモをみたときの衝撃ったらなかったです。
 
悲しみ、怒り、絶望感、虚しさ・・・いろんな感情がわき起こりました。
 
わき起こる感情を眺めながら、ときには友人に聞いてもらったりして
何度もなんども、このメモを読み返しました。
 
「こんなにつらかったんだね」
「わたしたちの10年はなんだったの?」
「彼の心のうちも知らずに、能天気に幸せって思ってたなんて、バカだな、わたし」
「わたしの責任なの?」
 
怒りも悲しみも、たくさんの思いがわたしの心のなかを通りすぎていきました。
 
 
そしてようやく、
 
「これからは、ずっと一緒に体験できるね」
 
そう思えたのでした。
 
 
わたしと暮らしていた10年も、彼は、自分の選択で、一緒に体験していたはずなのです。
 
マチュピチュに向かうトレッキングも、全国の神社も、加計呂麻島も、
お客様をお連れしての山中湖も、家に友人を招いたりも、いつも楽しんでいたし、
 
いつもうちにはたくさんの人が遊びに来てくれ、彼はいつもとっておきのワインや手料理でもてなしてくれて、彼はとても人気がありました。
 
わたしのお友達やお客様だったかもしれないけど、シロクマが大好きな彼に、お客様の手土産はいつもシロクマグッズで、
 
あるときお客様から、
 
「わたしYurielさんを訪問しながら、Yurielさんへのお土産を持って来たことがなかった」
 
と言われたこともあるくらいでしたから。
 
 
それでも、彼は「友人と時間を過ごせていなかった」と思っていたんですね。
 
彼の訃報をきいて、たくさんの人が訪ねてきてくれて、「しろくまさん!!」って泣いてくれました。
彼はわたしの友人たちから、わたしのパートナーだから愛されていたのではなくて、彼を慕ってくれ、好かれていたからです。
 
 
でも彼にとっては、自分の友達とわたしの友達は違う、と思っていたのでしょう。
わたしは、もともと、友だちの友だちでも気があえば自分の友だちという感覚なので、彼の考えはこのメモを見るまで知りませんでした。
 
 
メモに書かれていた言葉は、すべて、震災を体験してからの、わたしの信条でもありました。
 
「しあわせに生きる」
「友だちとたくさん過ごす」
「自分の気持ちに素直でいる」
「好きなぶんだけ働く」
「自分の望む生き方をする」
 
そして、そのように生きてきて、しかもこの10年間は、一緒に体験してくれる人がそばにいて、本当にほんとうに、しあわせでした。
 
 
でも、彼の心の中には、そんな葛藤があったんですね。
 
彼が亡くなってから、自動抽出されている彼が写っている写真を何度も見ました。
どの写真も笑顔でした。つまらなさそうな顔は一枚もなかったです。
 
お友達にも「しあわせそう」「いつも楽しそう」と言われていました。
彼のたましいは、わかっていたから、いつも笑顔でした。
でも、彼のエゴは、「人と自分は違う」と言い続けていたみたいです。
そしてひとりで苦悩していたんだなって、思いました。
 
 
せっかく結婚して一緒にいるのに、自分の人生と、わたしの人生を分ける必要なんてあったのかな。
わたしと同じ体験を積み重ねて、人と出会い、笑って、楽しんでいるのに、
「自分のしたいことはできてない」ってエゴの声に、ずっと葛藤していた彼でした。
 
 
でも、肉体を離れて、エゴから自由になった今だったら、きっとわかるよね。
 
 
亡くなってすぐ、たくさんの方が彼に会いに訪れてくれ、お花や言葉をたくさんもらいました。
今まで、わたしは人に親切にされることが苦手で、遠慮ばかりしていたのに、してもらえることがうれしくて不思議でした。
 
 
そのときふと、思ったのです。
「彼は喜ぶだろうな」って。
 
 
そしてたくさんの愛を受け取りました。
 
 
 
亡くなった直後から、彼の姿はみえなくて、
 
「どこにいっちゃったのかな、帰ってこないな」
 
ってずっと探していましたが、
 
そのとき、「ああ、もうわたしの中にいるんだな」って思えたのでした。
 
 
よく遊びにきてくれていたお友だちと、お庭を散歩したとき、
とても景色がきれいで、写真を撮ったら、まるで彼が撮った写真のようで、
こうして、彼の視点を体験しているんだなって思えて、
 
身体から離れた今は、もう「自分」がないから、
もう「自分のやりたいこと」にこだわらずに楽しめるんだろうなって、
かんじました。
 
 
 
「自分のやりたいこと」というエゴの幻想から自由になって、
彼は「しあわせだった」って言っていると思います。
写真の中の笑顔そのままで。
 

死ぬときに後悔すること
 
 
「もっと幸せな生き方がしたかった」
「友人たちともっと多くの時間を過ごせばよかった」
「自分の気持ちを素直に表現すればよかった」
「あんなに働かなければよかった」
「他人に期待される人生を生きるのではなく、自分が望むような生き方を貫けばよかった」
 
 
きっちり10年間、一緒に暮らしたパートナーが亡くなる直前にのこしていたメモです。
その週まで旅にでていて、とても元気だったので、急に彼が肉体を離れるなんて思ってはいなかったはずですが、
なぜか、彼はこんなことを書いていました。
 
毎朝、ソファに座って瞑想といって二度寝を楽しむのが習慣で、
この日もうとうとしていて、はっと起きて、「今大事なことを思い出した」といって、
このメモを書いていました。
 
「なに?」
わたしが聞いても
「うーん」といって答えてはくれなくて。
 
その直後に、すごく真剣な顔をしてわたしに言いました。
 
 
「あなたも、シロクマの赤ちゃんのキラキラした瞳をみたら、きっとシロクマが好きになる」
 
 
そのときふと、
「ああ、彼と野生のシロクマを見にいってから10年だなぁ。今年は彼だけでもクマを見にいかせてあげないと」
 
そう思ったのでした。
 
でも、それは口にしなくて、
わたしはにっこり笑っただけでした。
 
 
彼はいつもまわりの人の機嫌を気にして、自分がやりたいことや言いたいことは、限界まで我慢している人でしたから、
彼が自分の気持ちをこんなに真剣に口にしたのは、もしかしたら初めてだったかもしれません。
 
わたしは逆で、阪神淡路大震災にあってから、行きたいところに行き、会いたい人に会い、食べたいものを食べ、飲みたいだけ飲んで、生きたいように生きてきました。
 
彼に出会うまでは、そんな気ままにつきあってくれる人もいなくて、旅に出るのもひとりでした。
自由を満喫していましたが、孤独でもありました。
 
 
でも、彼と出会ってからは、どこにいくのも、何をするのも彼と一緒になり、
 
 
お客様をお連れする合宿も、お茶会も、海も、山も、巡礼も、ご飯を食べるのも、飲みにいくのも、お友達を招いてパーティをするときも、そしてお互いが家で仕事をしているので、日常のすべてがずっと一緒でした。
 
肉親との縁が薄く、ずっとひとりぼっちだった私にとって、彼と過ごした10年間は、生まれて初めて自分のことだけを考えてくれる人に出会えて、とてもしあわせで、
 
孤独を振り切るように、自由を楽しもうとしていた頃と違って、誰かと一緒に美しい景色や体験を共有できる喜びをかみしめていました。
 
そして、いつもわたしのとなりで、ニコニコしている彼も、きっと同じはずと思っていました。
 
 
ですから、このメモをみたときの衝撃ったらなかったです。
 
悲しみ、怒り、絶望感、虚しさ・・・いろんな感情がわき起こりました。
 
わき起こる感情を眺めながら、ときには友人に聞いてもらったりして
何度もなんども、このメモを読み返しました。
 
「こんなにつらかったんだね」
「わたしたちの10年はなんだったの?」
「彼の心のうちも知らずに、能天気に幸せって思ってたなんて、バカだな、わたし」
「わたしの責任なの?」
 
怒りも悲しみも、たくさんの思いがわたしの心のなかを通りすぎていきました。
 
 
そしてようやく、
 
「これからは、ずっと一緒に体験できるね」
 
そう思えたのでした。
 
 
わたしと暮らしていた10年も、彼は、自分の選択で、一緒に体験していたはずなのです。
 
マチュピチュに向かうトレッキングも、全国の神社も、加計呂麻島も、
お客様をお連れしての山中湖も、家に友人を招いたりも、いつも楽しんでいたし、
 
いつもうちにはたくさんの人が遊びに来てくれ、彼はいつもとっておきのワインや手料理でもてなしてくれて、彼はとても人気がありました。
 
わたしのお友達やお客様だったかもしれないけど、シロクマが大好きな彼に、お客様の手土産はいつもシロクマグッズで、
 
あるときお客様から、
 
「わたしYurielさんを訪問しながら、Yurielさんへのお土産を持って来たことがなかった」
 
と言われたこともあるくらいでしたから。
 
 
それでも、彼は「友人と時間を過ごせていなかった」と思っていたんですね。
 
彼の訃報をきいて、たくさんの人が訪ねてきてくれて、「しろくまさん!!」って泣いてくれました。
彼はわたしの友人たちから、わたしのパートナーだから愛されていたのではなくて、彼を慕ってくれ、好かれていたからです。
 
 
でも彼にとっては、自分の友達とわたしの友達は違う、と思っていたのでしょう。
わたしは、もともと、友だちの友だちでも気があえば自分の友だちという感覚なので、彼の考えはこのメモを見るまで知りませんでした。
 
 
メモに書かれていた言葉は、すべて、震災を体験してからの、わたしの信条でもありました。
 
「しあわせに生きる」
「友だちとたくさん過ごす」
「自分の気持ちに素直でいる」
「好きなぶんだけ働く」
「自分の望む生き方をする」
 
そして、そのように生きてきて、しかもこの10年間は、一緒に体験してくれる人がそばにいて、本当にほんとうに、しあわせでした。
 
 
でも、彼の心の中には、そんな葛藤があったんですね。
 
彼が亡くなってから、自動抽出されている彼が写っている写真を何度も見ました。
どの写真も笑顔でした。つまらなさそうな顔は一枚もなかったです。
 
お友達にも「しあわせそう」「いつも楽しそう」と言われていました。
彼のたましいは、わかっていたから、いつも笑顔でした。
でも、彼のエゴは、「人と自分は違う」と言い続けていたみたいです。
そしてひとりで苦悩していたんだなって、思いました。
 
 
せっかく結婚して一緒にいるのに、自分の人生と、わたしの人生を分ける必要なんてあったのかな。
わたしと同じ体験を積み重ねて、人と出会い、笑って、楽しんでいるのに、
「自分のしたいことはできてない」ってエゴの声に、ずっと葛藤していた彼でした。
 
 
でも、肉体を離れて、エゴから自由になった今だったら、きっとわかるよね。
 
 
亡くなってすぐ、たくさんの方が彼に会いに訪れてくれ、お花や言葉をたくさんもらいました。
今まで、わたしは人に親切にされることが苦手で、遠慮ばかりしていたのに、してもらえることがうれしくて不思議でした。
 
 
そのときふと、思ったのです。
「彼は喜ぶだろうな」って。
 
 
そしてたくさんの愛を受け取りました。
 
 
 
亡くなった直後から、彼の姿はみえなくて、
 
「どこにいっちゃったのかな、帰ってこないな」
 
ってずっと探していましたが、
 
そのとき、「ああ、もうわたしの中にいるんだな」って思えたのでした。
 
 
よく遊びにきてくれていたお友だちと、お庭を散歩したとき、
とても景色がきれいで、写真を撮ったら、まるで彼が撮った写真のようで、
こうして、彼の視点を体験しているんだなって思えて、
 
身体から離れた今は、もう「自分」がないから、
もう「自分のやりたいこと」にこだわらずに楽しめるんだろうなって、
かんじました。
 
 
 
「自分のやりたいこと」というエゴの幻想から自由になって、
彼は「しあわせだった」って言っていると思います。
写真の中の笑顔そのままで。