占いの仕事を引退したころのことだから、もう7年かそれ以上前になるのかな、
絵本作家の五味太郎先生にお会いしたことがある。

ひょんなことから、私の離婚の話題になり、
「占い師なのに、自分の離婚はわからなかったの?」
大笑いされたのだった。

当時の私は何度目かの離婚がめずらしくモメて(あなたがら望むならいいよ、とすんなり離婚できたそれまでがおかしかったんだと思うが)離婚して数年経つというのに、いろんな問題に煩わされていた。

「いいえ、わかってましたよ!」
とムキになって否定する私をすごく楽しそうにからかって、

「自分の離婚が当てられない占い師」
という不名誉な称号を頂戴した。

五味太郎先生の作品は、児童書にありがちな、説教的要素が全くないところが大好きで、実際にお会いしても、おおらかなお人柄で大好きになったので、
私はその不名誉な称号を誇りにもしている。

でも、私は、わかってても、避けられないのが、運命なんじゃないかって子どものときから漠然と思っていて、

歳を重ね、経験を重ねるたびに、
その確信を深めているように思う。

私は結婚生活がうまくいかないだろうなって思っていたし、
子どもたちと別れることも知っていたし、
夫に先立たれることもなんとなく知っていた。

でも、それを考えても不安になるだけだから、そのことについて考えることはやめ、
今できることを淡々と、そしてときには、おかしいほど激しく執着して、生きてきた。

別れるのがわかっていたら、結婚しなくてよかったのに、というのが、皆が傷つけずに済むのだから、一般的な真っ当な考えだというのは、理解しているが、
私はそうは思わない。

結婚は継続を目的としたものではあるけど、そうならなかったときにさえ、ちゃんと大きなギフトをくれる。

「失敗がなければ、何が最適かわからない」というエジソン博士の言葉は有名だけれど、

それが真理であるなら、結婚を含めて全ての事柄に当てはまるはずなのだから。

実際に、私はあとから気づいたことも含めて、結婚してよかったと思えるし、離婚もしてよかったと思うし、私に関わって大変な目にあったパートナーや家族に、心から感謝している。

以前の私は、占いの仕事で人の悩みに接するたび、頭では運命は変えられないとわかっていながら、避けられるようにと願う、迷いからくる弱さがあったのだと思う。
だから人の欲との関わりが苦しくなって相談の仕事ができなくなってしまったのだった。

そして引退しての数年、ただ静かに祈るだけの生活をさせてもらい、ようやく、どんなひとも運命をそのまま受け入れていける、という確信を得て、占いの仕事に戻ることになった。

そして、再デビューして1か月が過ぎたところで、まるでそんな私の再出発を見届けるのを待っていたように、私のこの10年を支えてくれていた夫が急逝したのだ。

不思議なことにこの1年ずっと、「自立してほしい」と言われていたし、

自立したら、関係が変わることもなんとなくわかっていて、それを避けたいという恐れからくる感情もあり、

わかってはいたのだ。

でも避けることはできなくて、避けようとしても苦しみが増すばかりだったと思う。

私は、運命を変える努力をするかわりに、旅をたくさんして、たくさんの人に会い、しあわせな時間をたくさん持てた、そう思っている。

ある場所で私たちの友人が「千の風になって」を歌い、そしてなぜか夫はその音源を亡くなる前に私に渡してくれ、私は夫の遺骨の前でそれを何度も聞いた。

きっと、彼からのメッセージなんだろうなと思いながら。

人間だから、苦労したくないし、失敗したくない、と思う。悲しみたくだってない。
避けれるものなら避けたいって思う。

でも、人生には失敗なんかない。体験があるだけ。

運命は変えられないかもしれないけど、

私はどんなときにも笑って「大丈夫だよ」
と言える強さを持ちつづけたいと思う。

人にも、自分自身にも。