「ゆるす」ことの大切さは、もううんざりするほどきかれていることと思います。
「ゆるせない」という気持ちは、身体をこわばらせ、健康にもよくないですし、
「ゆるせない」というのは、気分の悪いことにこだわっているというわけですから、
快適なわけがありません。
動作に意識を集中することは、その動作をうまく運ぶために最も大切なことですので、
ゆるせないという「他のこと」に気をとられている状態では、
うまくいくものもうまくいかなくなってしまいます。
だから、いろんな本やセミナーでは「ゆるす」ということをテーマにしています。
どうしたら、ゆるせるようになるのか。
わたしは、自分の体験を通してあることに気づきました。
「懐が深い」という言葉がありますが、
「仏さまのような、なんでも受け止めてくれる安心感」
を持った人が、わたしの尊敬する友人にも何人かいます。
その人たちはみんな「いい人ではなかった」ということです。
もちろん大人ですので、悪ぶったりはしませんし、
わたしも彼らのした悪事の数々を聞き出したりはしませんが、
「ワルいことしたなー」とにやっとします。
一方、「ゆるせない」と悩んでいる方の共通点は、
「いい人」だということです。
良識的に生きてきて、間違ったことを避け、自分を律してきた本当にすばらしい人。
「ゆるせない」という言葉が似合いません。
だからこそ、「ゆるそう」とがんばるのだと思います。
わたしは正直に告白すると、いい人ではありません。
いい人どころか、とんでもなくワルい人だと思います。
転職も結婚も相当たくさんしてますし、それどころか、
「相手が悪い、わたしは悪くない」と思っていたくらいですので
手に負えない問題児(?)でした。
でも、そのおかげで、人のことをゆるせるようになりました。
「相手は自分」とか「腹が立つ相手と同じことを自分もしている」といいますが、
自分の実体験から、出会う厄介な人は、はっきりと「過去の自分」だとわかるからです。
それどころか、当時の相手の立場や感情までわかったりして、
「穴があったら入りたい」という気分になります。
だからこそ、ゆるしてくれた人に対して自然と感謝もわくし、
心からごめんなさいと言えるようになりました。
「いい人」でいるときは、自分が人から迷惑をかけられているとばかり思っていて、
いつもイライラしていたし、感謝も自然とは湧いてこなかったのです。
器が小さかったということでしょうね。
今も、聖人のようになんでもゆるせたりはしませんが、
「いい人」だと思い込んでいたあの当時よりは、少しは謙虚になれたと思います。
わたしが最近よくお伝えしているメッセージに
「体験にはいいも悪いもない」というものがありますが、
「迷惑をかける」ということも同じことなのだと思います。
ひとつの体験を選択した。
ただ、それだけ。
たとえばあなたが、待遇が気に入らないからと、仕事を辞めたいと思っているとします。
そんなときあなたは、仕事の遅い同僚にイライラしたり、
やる気のない同僚に対して「ゆるせない」と感じることが多いことでしょう。
ひとつの選択は、辞めてしまうことです。
同僚はあなたが辞めたことで忙しくなって迷惑だと感じるかもしれません。
でもそれで、あなたは「ゆるせないこと」から解放されます。
もうひとつの選択は、
「自分も仕事の手を抜く」ことです。
気に入らない同僚たちと同じことをしてみるのです。
はっきりいって、自分がやっていることは、
頭で悶々とゆるせないと考えていたことがウソのように、
ゆるせます。
「そんなことをしてしまった自分がゆるせない」という
自分を責める感情はくるかもしれませんが、
少なくとも「他人を責める」ということはなくなるでしょう。
人は「悪いこと」をやった分だけ、寛容になれます。
他人が悪いことをしたことばかりに目がいきますが、
本当は自覚していないだけで、自分も同じようなことをしています。
「いい人」は他者に厳しいのです。
自分が「いい人」でいるとき、比較として「悪い人」が自然に存在してしまうからです。
わたしは繰り返し、「体験しか残らない」ということをお伝えしています。
頭で考えたこと、悩んだこと、というのは、
どれほどエネルギーを使っても、ほとんど記憶に残りません。
彼との今後がどうなるのか、
仕事をどうしていったらいいのか、
考えることに費やした何ヶ月もの時間は、
おそらく10年も過ぎたら「あの頃悩んだなぁ」という記憶くらいにしかなりません。
残るのは、それによって体験したことだけ。
結婚した、
けんかした、
転職した、
部長に談判した
あなたが悩みを通じて選択した体験だけが、残るのです。
どこかに行った、
誰かと時間を過ごした、
つらい失恋をした、
おいしいものを食べた、
美しい音楽をきいた、
怖い体験をした……
あなたが選択した「体験」だけが、あなたの人生として積み上げられていくのです。
たとえ話に戻るなら、「ゆるせない」なら職場を辞めるという選択をしたり、
相手と同じことをやってみたり、もしくは、直接はっきり言ってみるのもいいでしょう。
どれもいい方法ではないかもしれませんが、
ただ「ゆるせない」という状況に悩み続けるよりは、建設的です。
結局悩んでいる間は、なにも動かないからです。
「ゆるそう」と、どんなに頭で考えてもゆるせません。
ゆるすこととは、体験の選択だからです。
「悪い(と自覚している)人ほど寛容である」
これが、わたし体験を通じて理解した「ゆるすということ」のたったひとつの極意です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日もあなたにすてきなことが、たくさん起こります☆
感謝をこめて。