蓮の花
つらいことあったある日、しょんぼりしていたら、友人が
昔よく行ったお気に入りのお店に連れてきてくれました。

そのお店の近くには、
なぜかいつもは避けていた場所がありました。

そこをふと見てみたくなり、
少し遠回りして駅に向かったのでした。

するとうっそうとした気持ち悪い泥沼だと思っていたこの場所は
実は蓮の名所だったです。

そういえば、この場所はわたしにとって、とても思い出深い場所。
職場からの帰り道、何度も泣きながらここを通り過ぎたのでした。

ひとまわり以上も若い厳しいベテランの先輩たちにかこまれ、
耳に入ってくる言葉は、わたしへの注意か社内のうわさ話ばかり。

エレベーターに乗り合わせてこちらから挨拶しても、目もあわせてもらえることがなく、
毎日ひとりで戦っているような孤独な気持ちでいっぱいだった毎日。

ある日、お昼休みに本屋で出会った一冊の本がきっかけで、
わたしの人生は変わりました。

そこには、こう書かれてあったのです。

「今のあなたの環境は、今の自分にちょうどいい」

あの職場での日々は、今のわたしにはかけがえのないたからものです。

「相手がどうあっても、自分は感じよくいよう」
そう決めて3ヶ月。そのころには相手から声をかけてくれるようになっていきました。

相手から、声をかけてくださるようになると、
わたしの耳にあれほど聞えてきたうわさ話は消えていき、
ちょっとした相談や、身の上話が聞えてくるになったのです。

まったく不思議な体験でした。

つらいつらいと思って会社に行っていたほんの3ヶ月前に、
わたしが見ていた人たちは、
意地悪で、人の噂ばかりして、あいさつもろくにしない人たちだったはずのに、
その人たちは、本当は気のいいすてきな人たちだったのです。

わたしは人を見る目がなかった、そう思いました。

その体験を境に、わたしの人生は大きく変わっていきました。
いい仕事、いい職場に呼ばれるようになり、
すばらしい人たちとつながれるようになりました。

闇の世界から光の世界へと、見える世界が変わったと、あのときは思っていました。

蓮の花が泥の中からわき上がるように、
つらい環境こそが、わたしのなかに美しい花を咲かせてくれる。

つらい環境は、「誰か」が作っているものだと、
あの頃は思っていました。

でも、今は、自分が花を咲かせたかったから、
自分が、泥沼を作ったのだと知っています。

そして、その役を、誰かに当てはめていただけなのだと。

蓮の花が泥の中からしか生まれないとしたなら、
泥もまた、蓮の花の美しさなのかもしれません。

蓮の花は4日目に花を終え、沼にかえっていきます。
だから、泥はたしかに蓮の花の美しさを含んでいるのです。

わたしを傷つけてくる人は、わたしという花を咲かせるための滋養であり、
わたしもまた、誰かの美しい花を咲かせる蓮の沼なのです。