DSC02489(変換後)

神宮の森を歩いていたら、こんなメッセージを受け取りました。

天罰という言葉がありますが

天は罰したりしません。

 

だとしたら、どう生きますか。

いじわるしたり、

盗んだり、

だましたり、

してみたいですか。

 

もし、そうしたとしても、

天はあなたを罰したりしません。

 

だから、

いじわるする人や

盗む人、

だます人、

いろんな「嫌なこと」をする人も存在します。

 

同じように、

人にやさしくしたり、

与えたり、

励ましたり、

素敵な人もたくさんいます。

 

天恵という言葉がありますが、

天が恵みを与えてくれることはありません。

 

報われないと思うのは、そういうことだからです。

 

もし、天が与えていたとしたら、

罰も恵みも、ひとつの例外もなく与えられるはずですから。

天は罰も恵みも与えません。

 

それが、天がわたしたちに授けた「自由」です。

 

わたしたちは、天からすべてを与えられました。

 

行う自由も、またその結果を引き受ける責任も。

 

天がわたしたちに授けた愛は深く、またとても厳しいものかもしれません。

 

天は罰も恵みも与えませんが、

わたしたちは、行いに対する報いを受け取っています。

 

それは、天ではなく、人を通じてです。

人のすることだから、誤解があったりもするし、

報われないこともあったりします。

 

わたしたちは、天に代わって人を罰したり、

人に恵みを与えたりしているのです。

 

わたしたちが、天の代わりを託されているとしたら、

すごいことだと思いませんか。

 

わたしにはとても天の代わりはできません。

 

だから、人を裁いたりしたくありません。

その代わり、人をたたえることは

少しでもしていきたい。

そう思うのです。