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立春になりました。

8日には新月を迎え、旧暦でもいよいよお正月がやってきます。
2016年もいよいよ本番となりました。

 

例年、立春前後のこの時期は、
多くのご相談やご報告を受ける時期なのですが、
今年は年末年始に、
数年ぶりにイベントをさせていただいたこともあって、
たくさんのご報告を聞く機会がありました。

 

その中で共通しているテーマだと感じたことは、

 

「願いが現実化するスピードがとてもはやくなっている」

「わたしたちは、わたしたちの思いに責任をもたなくてはならない」

ということです。

 

今日はそのことについて、お話ししたいと思います。

 

 

以前にもお話しした機会があったのですが、
人は「思っている通り」の現実を創り出します。
もしくは、「選択する」といってもいいかもしれません。

 

不思議なもので、「試験に落ちる」と本気で思っている人は落ちるし、
「試験に受かる」と本気で思っている人は受かるものなのです。

 

そんな馬鹿な、努力の結果だと思われるかもしれません。

 

ですが、そう思われる方であっても、
「がんばれば試験に必ず受かる」とも
「楽な方法を選んでいたら試験に落ちる」とも限らないのだ
という現実に遭遇されたことは、
きっとあるのではないでしょうか。

 

それを多くの人は「運」と呼んでいます。

 

わたしは、「運」というのは思い、
つまり「信念の具現化」なのではと思っています。

 

自分自身では気づかない意識の深い部分での「思い」が
顕在意識下で知覚していない「思いもかけない」結果を引き起こすとき、
それを「運」という言葉で
多くの人は理解しようとしているのではないかと思うのです。

 

人は口にしている言葉が必ず本心をあらわすわけではありませんが、
無意識のクセ、言葉には本心が隠れています。

 

相手の意識にフォーカスすると、それがわかります。

 

そして、無意識の領域が、
その人がみる現実のひな形とも言える「思い」の貯蔵庫です。

 

ですから、その方に近未来に起こることもわかるし、
今起きていることがどういう意味をもつのかがわかります。

多くの方が「運」と呼ぶそれは、
「運」ではなく「因果」にすぎないと、
わたしには思えるのです。

 

 

ある方は上司から転職を勧められたとたずねてくださいました。

ですが、彼は数ヶ月前に同僚と折り合いが悪いことがストレスで、
また、望んでいる職種や雰囲気とも違うため、
「仕事を変えたい」とおっしゃっていたのです。

わたしは、「来るべき時がきた」と思いました。

 

わたしは、不満を抱えたまま何かを続けることができません。

ですので、リスクがあってもそこから立ち去るか、
不満を解消するための努力をして自分の気持ちを整理するか、
どちらかを選択してきました。

 

今までは、職場や待遇に不満があっても、
愚痴を言いながら何年も勤め続けられる人のほうが
多かったように思います。

彼にとっても、「いずれは独立」とおっしゃってはいましたが、
あくまでも「いつかは」と、
しばらく先の未来のことと捉えていらしたようです。

 

ですから、この展開のはやさに戸惑われたようでした。

 

わたしはもともと思い立ったらすぐ行動するタイプなので、
思いが具現化するまでのスピードがはやいほうでした。

 

自分自身の気持ちの切り替えがうまくできないできないころには、
望んだとたんに、大手企業からスカウトの連絡がきたこともありましたし、
会社をやめようか、迷いはじめてすぐ
「クビ」を言い渡されたこともありました。

 

本来、思いの具現化は「すぐ」なのです。

今、「贖い(あがない)」、つまりアトーンメント(Atonement)の時代が訪れ、
すべての人に神の大いなる祝福である、具現化が加速している気がします。

そして、「自分の思いがすぐに具現化する」時代だからこそ、
わたしたちは、自分の思いに責任をもち、気をつけなければなりません。

 

起きてしまった現実は、もう取り消すことはできないからです。

 

「転職したいと思ってはいたけれど、
いざ退職をすすめられてあらためて考えたら、
収入の問題もあって、今の会社で働きつづけたかった」

とか、

「自分勝手でおもしろみのないパートナーだったので、
別れたいと思っていたけれど、
いざ、パートナーが出て行ってしまったら
孤独で、いないよりは幸せだった」

と気づいても遅いのです。

 

わたしたちは、自分の思いを自覚し、責任を持つ必要があるのでしょう。

 

わたしが見ている現実は、わたしの思いの結果であるということ。

「今ここにある現実を、不満や愚痴を口にせず、
感謝して受け入れること」は、
「思いもかけないできごと」
を招かないために役立つ考えなのです。

 

わたしは、神とは、空の上にいる白いひげを生やした老師ではなく、
宇宙の真理であり、道理と考えています。

それはつまり「起こるべくして起こる」という、「あたりまえ」の働きのことです。

 

わたしたちは今、「神の働き」である、「起こるべくして起こる」ことが、
とてもスピーディに行われる時代に入っているような気がします。

これこそが、「神の祝福」なのかもしれません。

この大いなる祝福があふれる時代、思いを正しく持ち、
すばらしい現実をたくさん体験していきたいと思っています。

 

今年も素晴らしい年になりますように。