意地悪な上司、
仕事ができない同僚、
パートナーのメールの返信が遅いこと……
他の人のことばかりではありません。
仕事の失敗、
離婚、
果たせなかった約束……
過去の自分さえゆるせなかったりもします。
わたしたちは、ゆるせない、ゆるされない、と思い悩んでいるのです。
ゆるしをテーマに瞑想する機会がありました。
瞑想していましたら、
「あなたはもうゆるされているよ」と聞こえたような気がしました。
そのときにみたビジョンは、
お釈迦様の手のひらの上に、点のようにいる自分でした。
山や谷や深い淵がそこにはあって、
わたしたちは、歯を食いしばって山に登ったり、
淵に落ちないようにと踏ん張ったり、
誰かより先に行こうと他の人を蹴落としていたり、
たくさんの人が見えました。
けれども、やっぱりそこはお釈迦様の手の上のことでした。
谷底に落ちて絶望していても、
たくさんの人を蹴落として先に登頂して喜んでいたとしても、
お釈迦様の指紋の深さほども、違いはないのでした。
そして、どんな感情を持っていようが、
みんな完全にお釈迦様の手の上で守られている。
そんなビジョンでした。
そうして、わたしたちが、手から離れるとき(たぶんそれが肉体の死の体験)、
「ああ、あれはすべてあの手の上の小さな世界だったのだ」と気づくようです。
つまり、わたしたちは、あの人をゆるせないとどんなに思ったとしても、
あの人もまた同じようにお釈迦様の手のひらに守られていますし、
どんなに自分のことをダメで生きている価値がないと思っても、
お釈迦様の手の上で生かされています。
ゆるされて、ここにいるのです。
怒りや悲しみがどんなに大きくても、
手のひらの上にある小さな点の中の一部にしかすぎません。
だから今日は、あなたがもし、ゆるせない人がいたり、ゆるされないと感じていたなら、
すべての人はすでに、完全にゆるされているということを思い出してみましょう。
すべては、お釈迦様の手の上で起こる安全な世界での体験に過ぎません。
体験を楽しみましょう。
手のひらを離れて旅立っていくとき、「ああ楽しかった」と思えるように。
この世は遊園地のようなもの。
起こることを分析することは、アトラクションを分析するのと同じこと。
どうせなら、体験してしまいましょう。
体験することだけが、地球に生まれてきた意味なのですから。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日もあなたにすてきなことが、たくさん起こります☆
感謝をこめて。