苦しみはどこからやってくるのでしょうか。

子どものころのわたしは、感じている苦しみから逃げることもできず、
ただ時間が過ぎるのを待っていたような気がします。

20代には海外放浪をして、「苦しみから逃げる」という体験を選び、

30代は、遅すぎる社会人としてのキャリアを積みながら、
自己啓発や、心理学、スピリチュアルな手法を通じて
「癒す」ということに取り組みました。

一定の効果はあったと思います。
この期間、わたしは人生でいちばん積極的だったと思えるからです。

 

その後、ヒプノセラピーやリーディングを学んだことがきっかけとなり、
セラピストとして人の話を聞く側になりました。
5000人以上のお話を聞きました。

癒しても癒しても、次々と生まれてくる心の傷。

ある日ふと思ったのです。
苦しみは本当に心の傷から生まれてくるのだろうかと。

もしかしたら、苦しみこそが、心の傷を生み出しているのではないだろうか。

だとしたら、心の傷をどんなに癒しても
結局は苦しみから逃れられない。

それに気づいて、わたしは「癒す」ということにフォーカスすることをやめました。

 

体の傷は、肉体という限りのあるものに存在します。
だから傷みも有限です。

ですが、心の傷は見えないものです。
心の傷みは限りがありません。

瞬時に消し去ることもできるし、永遠に持ち続けることもできるもの。
その選択は、自分自身にゆだねられている。
それが心の傷の特徴なのだと思います。
わたしたちは、苦しみが苦手です。
わたし自身が体験したように、投げ出したり逃げ出したり、消し去ろうとしたり、
いろんな方法で苦しみに抵抗して
「なんとかしよう」とします。
恋愛がうまくいかないのは、父親との関係が原因だとか、
人間関係が苦手なのは、両親が離婚したからだとか、
子どもを愛せないのは、自分が愛された体験がないからとか、
過去世の因縁のせいだとか、

原因をみつけては、なんとかしようと、かかりきりになって
本質から遠ざかってしまいます。
そして無限の苦しみのループにはまり込んでしまうことがあまりにも多いのです。

 

お釈迦さまは、人の苦しみについて

生・老・病・死
愛別離苦(愛する人との別離)
怨憎会苦(怨み憎んでいる者に会う)
求不得苦(求めているものが得られない)
五蘊盛苦(五蘊=人間の肉体と精神、が思うままにならない)と、

これら8つを示されました。

苦しみの本質とは、渇愛や、煩悩、執着など、すべては「欲」からくるのだと
お釈迦さまは説きました。
どんな苦しみにも、欲が潜んでいます。

思う人と結ばれたい、
みんなに好かれたい、
仕事ができて経済的に豊かでいたい、
注目されたい……
それらは決して「悪い」願いではありません。
ですが、その願いが叶わないとき、
その思いが「もっともっと」と強ければ強いほど
苦しくなるというだけなのです。
お釈迦さまは「人生は苦である」と言いました。
生きるということは、「欲とともにある」ということなのだと思うのです。
食欲などの生理的な欲求だけでなく、
もっとお金が欲しいとか、
いい生活がしたいとか、
人から認められたいとか、
あらゆる欲は苦しみの本質であると同時に、
生きるという意欲につながるエネルギーでもあります。
苦しみとともに、のびやかに自分らしく生きる。
わたしのまわりではいま、自分自身のいのちのすべてを祝福する方が増えています。
そして彼女たちの凛としたエネルギーに触れるたび、
わたし自身のいのちもまた、祝福されているような気がするのです。

 

映画『アナと雪の女王』も、「ありのままの自分」がテーマですごい人気ですね。
みんなが、自分のいのちを、苦しみもまるごと、
ありのままに認めて愛しむことができるようになってきたのかもしれませんね。